2480399 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

蘇芳色(SUOUIRO)~耽美な時間~

「それでもボクはやってない」




ちょうど昨年の夏、初めての裁判傍聴に行ったので、そのときのことを思い出しながら、夢中になって見てしまいました。(それについての日記はこちら

作品自体は、とてもよく出来ていました。一人の平凡な青年が、あれよあれよと言う間に痴漢に仕立て上げられていく様子がよくわかりました。このような冤罪事件が、もしかしたら日常的に行われているのでは・・・?と疑いたくなるほどです。
警察官や検察官の捜査がいかに強制的に自白を促しているか、「疑わしきは罰せず」ではなく、「確証がなければ、すべてクロ」という捜査。被害者や周りの人間の感情による事実誤認。そして公平であるはずの裁判官の、自分の出世のための保身的な態度。
今まで私は、警察、検察、裁判所などでは公平な捜査や裁判が行われていると信じて過ごしてきました。しかしこの映画を見て、「本当にそうなのだろうか?」と不安が頭をもたげてきました。真実を見極められ、常に公正に人を裁けることが、人間に本当にできるのでしょうか?


しかし見終わってから時間が経ってくると、また別の考えが出てきました。
それは、あの映画はドキュメンタリーではなく、結局フィクションなのだということです。
もちろん脚本を書くときや、撮影をするときには、緻密な取材をしたでしょう。
冤罪事件が実際に存在するわけですから、内容がフィクションだけという訳でもないと思います。
でもあの映画の登場人物たち、事件、捜査方法、裁判の内容などは「事実」ではないのです。
視聴者である私は、事件の真実を知った上で、警察の捜査や裁判の経過を見ていました。だから「それはおかしい!彼は無実なのよ!」と思うことができたのです。
もし何もわからないまま、捜査や裁判を見ていたら、「一体被疑者、被害者、どっちが本当のことを言っているの?」と思ったことでしょう。
このようなことを忘れて、映画そのものを信じ込んでしまう危険性を感じました。
無実の罪だとわかっている主人公の気持ちに共感したままだと、刑事も検察官も、被害者の女子高校生にまで憤りを感じてしまうのです。

もちろん周防監督はそんなことではなく、今の日本の捜査方法や裁判制度について、疑問を投げかけているのでしょう。
それでも、何も考えずに、ただ映画の内容だけを鵜呑みにして見てしまっていたら、警察や検察、或いは裁判官への不信感が募るだけになってしまいます。
映画のように偏った捜査をする刑事や検察官、そして偏った判決を出す裁判官がいるかもしれませんが、一生懸命に公正にしようとしている刑事・検察官・裁判官が大多数だと思いたいです。
痴漢の被害者にしても、卑劣な行為のおかげでどれだけ心や体に大きな傷を負っているか知れません。映画でも少し触れられていましたが、痴漢にあってから、電車に乗れなくなったという女性も実際にいるとききます。

そのようなことをふまえ、来年から施行される予定の裁判員制度をもっと、国民1人1人が熟知しなければならないな~と感じました。
「それでもボクはやってない」は、とてもよくできた作品です。裁判制度について、数多くの人の関心を集めたことは、良かったと思います。
だからこそ、視聴者は一方的な考えに偏ることなく、あの映画自体はフィクションだということを理解したうえで、もう一度日本の裁判制度や裁判員制度について、情報を集めて、じっくりと自分の意見を考えなければいけませんよね。私自身の自戒も含めて。

「それでもボクはやってない」公式HPはこちら


© Rakuten Group, Inc.